2020年3月21日土曜日

【本】千利休 無言の前衛

 赤瀬川源平 著 1989年 

芸術について腑に落ちる論があったので転記。
人類は「暇」なのだ。

参考:絶滅の人類史 更科功 著


そもそも前衛芸術とは何かというと、芸術という言葉で代表される美の思想や観念といったものを、ダイレクトに日常感覚につなげようとする営みである。
その前に、芸術という言葉は近代のものであるが、芸術といわれるものの内実は、音、色、形、壷、模様、彫り物、話、歌、楽器、踊り、等々、さまざまな形に分散して日常生活の中にあったのである。もちろんそれらは生活の中でのたんなる楽しみであり、息抜きであり、腕自慢であり、時間潰しであったのだけど、それはほとんど人類の発生と同時にあらわれている。むしろ数ある動物の中で、たんなる楽しみ、たんなる時間潰しに長けたものが、人類といわれるものに変化をとげてきたのである。そのたんなるものの中に、いずれ芸術として摘出される要素が混じり込んでいたわけなのだ。腕自慢が究められ、時間潰しが究められてくると、それはかなり日常のものとは違う様相を呈し、何か異様な刺激を人間に与えはじめる。すでに宗教の力を知っていた人間は、その日常から少し浮き上がった「表現物」というものを、宗教と重ねながら崇めはじめる。
そのようにして、もとは日常生活に湧き出たものが、日常を離れた特異物件として、一段高いところに祭察られるようになったのである。つまりそのようにして、人々は日常生活から芸術というものを掠め盗られた。そうやって芸術という概念は人々の頭上にあらわれてきたのだ。
いわば遠心分離機にかけられたようなものだろう。もとは運然としたスープのようなものが、そこに分布する性質ごとに分離されて、それぞれに輪郭があらわれ、独自の形をあらわしてくる。宗教、芸術、哲学、経済、工学、政治、と分けて学ぶ大学があらわれたのは、西欧からだ。西欧は自主独立、分離分析の元祖なのだ。
それはともかく、芸術という概念があらわれたところで、すでにその概念をUターンしようとする前衛芸術というものがあらわれていたのではないか。つまり日常生活の原始スープから芸術という概念が分離独立したとき、それはふたたび日常のものへと降下しようとする力を内包していた。
具体的にいって、十九世紀にあらわれた印象派の絵がその力だと思う。それまで人々の頭上へ頭上へと昇りつめようとしていた絵画というものを、一気に日常へ向け直したのである。
それまでの絵といえばいずれも日常から浮き上がることで価値をもった。そこに描かれるのは必ず偉大なる人物であり、偉大なる事件であり、偉大なる風景であった。まれに日常の庶民の日常の姿が描かれることがあっても、それは偉大なる構図、偉大なるライティング、偉大なる瞬間をもって描かれていたのだ。
その「偉大なる」ものを一気に消し去ったのが印象派の絵である。日常の何でもない風景の、日常の何でもない瞬間を、日常の何でもない光の中で描きはじめたのである。それらはいつも見ているものなのに、それがそのまま絵画として描かれたことで衝撃を与えた。描かれたものの衝撃というよりも、それは「偉大なる絵」というものが壊されたことの衝撃であり、まったく新しく生れ出る日常の力を知ったのである。
印象派の画家たちは、偉大なることを描く光栄よりも、キャンバスに絵具を塗りつける、その楽しさそのものを知ったのである。たんなる楽しみ、たんなる時間潰しの真只中に飛び込んだのだ。ほとんど人類の芸術の原始に瀕るほどの、凄絶な日常へのUターンであったとこうして、芸術はそれが概念として分離されたときに、はからずも前衛というものを生み出していた。それは分離した概念をふたたび日常の感覚につなごうとする力であった。これはのちに千利休の仕事を考えるときに重要な事柄だと思う。
以後その前衛芸術というものは、様々な形で変化しながらも、それは常に日常感覚への接一着の試みなのである。
印象派のあと、たとえばシュールレアリズ ムは、人の意識の深部に下降しようとするものとしてある。その絵画そのものは漠とした幻想的なものが多いけれど、その絵の中で、あるいは絵の外側においてでも、人間の意識の深部を覚醒する日常の物品が、つぎつぎに小道具のようにしてあらわれてくる。
ダリの溶解する時計、群がる蟻、スプーン、受話器。
キリコの機関車、直射日光の影、ビスケット、ゴム手袋。
マグリットのフランスパン、リンゴ、パイプ、長靴。
エルンストの絵具を押しつけただけのデカルコマニー、木目の板やブリキ細丁などに直接紙を当てて鉛筆でこすり出したフロッタージュ。
これらはその物品類を偉大なる精神性において描こうとするのではなくて、放っておけばすぐに上昇をして尊大になるだけの芸術の概念を、もう一度卑俗な日常品のディテールのところで見つけようとするものなのだ。 ダダの運動ではそれがじっさいの日常物品となってあらわれている。シュールレアリズムの中では絵の中の物品、その物品の暗瞭みたいたなことで芸術を望遠しているのであるが、ダダのオブジェ作品ではもっと直接的に、その実物展示による芸術の接写、とでもいう事態となってあるのだ。
有名なデュシャンの「泉」というオブジェ作品。これは男子用便器、いわゆるアサガオという白い陶磁器を、そのまま垂直面を下に倒して展覧会に並べたものだ。当然スキャンダルとなり、これが日常品によるオブジェ作品の最初のシンボルとして歴史に焼きつけられた。
この場合、便器を倒して「泉」というタイトルをつけるところに、物品の機能と意味を裏返したところの物語性があり、日本の美意識にもある「見立て」にも似て、いわば叙情的オブジェ作品といえなくもないのだが、しかしその後のレディメイドのオブジェになると、物品の日常性そのものだけが前面に押し出されて、叙情的な物語は一切洗い落される。「堰乾燥器」というのは、市販されている既製品の撮乾燥器を、そのまま持ってきて展示しただけである。
物そのものの美形もさることながら、その物を持ち出す行為のそのことをもって芸術の概念を射止めようとしているのである。これもまた、後に利休の仕事を考えるときに、重要な作法だと思う。
こうして芸術という概念は、上昇するところを常に前衛芸術に引き戻されて、日常感覚のところまでダイレクトに、次第に露骨に接着される。そのたびに芸術の概念そのものが、揺すぶられて、引っくり返されて、つかみ直されて、もはや崩壊寸前のきわどい形になってくる。
戦後になってハプニングというものがあらわれた。ダダのときにもその萌芽はあった。作品とするものが日常の既製品ではあっても、それを芸術を予約されたところの展覧会場に置くという、そこにやはり頭上の権威への依頼心がのぞいて見える。それをなお削り落して、作品的完結を回避して、人間の日常の行為、日常の振舞いそのものを芸術の概念に接続しようという、そのおこないが後にハプニングと名付けられた。椅子から落ちる。道路に寝そべる。物を落す。道路を掃除する。そういった原形的な、匿名的ないくつかのことがおこなわれたが、それはもうほとんど日常の行為そのものである。 芸術の概念の日常への接着へと進んだ結果、その接着がほんの一瞬の、しかもほんのわずかな接点となってくるのだ。日常の中にあるとはいえ、気をつけなければほとんど見えない。 気をつけてもほとんど見えない。何が芸術だかわからない。
芸術の概念を、日常の感覚につなげようとする前衛芸術は、そうやって日常への接着を繰り返すうちに、日常に接近しすぎて、接着というよりもその中にはいり込み、日常の無数のミクロの隙間から消えていった。 そうやって前衛芸術は消えたのである。芸術はもちろんいつの世にもある。消えてはいないが、その概念だけが人々の頭上にあって、かろうじて細い糸で日常の地面に繋がれている。 前衛芸術は、日常というものをあまりにも分離分析的に付き合ったお蔭で、その拠り所を失ったのだろうと思う。