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言わずと知れた谷崎潤一郎1933年昭和8年のエッセイ。
西洋文明の利便性が浸透し変わっていく日本文化を惜しむ。愚痴る?
隅々まで白く明るくする西洋文明が拡がり暗さを尊んできたのに日本文化が変調をきたしていると嘆いている。日本を闇の文化とし建築、建具、衣装、化粧や料理、食器のたたずまいを分析。
電球をLEDや蛍光灯に置き換えて考えると現在の「電球礼賛」との類似性が見えてきて面白い。
文化と文明、そして環境、経済を考える。
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~分けても私は、書院の障子のしろじろとしたほの明るさには、ついその前に立ち止まって時の移るのを忘れるのである。~
諸君はまたそう云う大きな建物の、奥の奥の部屋へ行くと、もう全く外の光りが届かなくなった暗がりの中にある金襖や金屏風が、幾間を隔てた遠い遠い庭の明かりの穂先を捉えて、ぼうっと夢のように照り返しているのを見たことはないか。その照り返しは、夕暮れの地平線のように、あたりの闇へ実に弱々しい金色の明りを投げかけているのであるが、私は黄金と云うものがあれほど沈痛な美しさを見せる時はないと思う。