2009年2月28日土曜日

【本】方丈記:鴨長明

「ゆく河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。淀みに浮かぶうたかたは、かつ消え、かつ結びて、久しくとどまりたる例なし。」
「干時、建暦のふたとせ、やよひのつごもりごろ、桑門の蓮胤、外山の庵にて、これをしるす。」

【無常観】
無常(むじょう、Skt:anitya)は、この現象世界のすべてのものは消滅して、とどまることなく常に変移しているということを指す。釈迦は、その理由を「現象しているもの(諸行)は、縁起によって現象したりしなかったりしているから」と説明している。

【日本人と「無常」】
「祇園精舎の鐘の声」ではじまる軍記物語『平家物語』、吉田兼好の随筆『徒然草』、「ゆく河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず」ではじまる鴨長明の『方丈記』など、仏教的無常観をぬきに日本の中世文学を語ることはできない。単に「花」といえばサクラのことであり、いまなお日本人が桜を愛してやまないのは、そこに常なき様、すなわち無常を感じるからとされる。「永遠なるもの」を追求し、そこに美を感じ取る西洋人の姿勢に対し、日本人の多くは移ろいゆくものにこそ美を感じる傾向を根強く持っているとされる。「無常」「無常観」は、中世以来長い間培ってきた日本人の美意識の特徴の一つと言ってよかろう。