2009年3月9日月曜日

生活が記号化している。

コンビニで「おにぎり」は「おにぎり」という記号になっている。「おにぎり」を涎を垂らしながら買うのが本当だと思うが、「おにぎり」というモノを買って食べている。もしかするとオイシイとさえ感じていないかもしれない。
すべての商品は記号化し記号化することでアピールする。その記号を求めて人は購買行動をおこす。いかにコンビニでアピールできるかはコンビニの照明と切り離して考えられない。暗がりのない充分すぎる光の量。その中で目立つためにはより大きな声で叫ぶか、地味に黙っているかだ。
我々は何もかもを「わかる」ようにしてきた。「わかる」ように「わからない」ことを排除してきた。あかりは「わからない」ことを排除するために隅々まで均質に照らすことを良しとしてきた。しかし「わからない」ことは創造力を掻き立てる。闇は「わからない」こと。非常に豊かだ。谷崎は日本文化は闇の文化と評した。闇と少ない光を再考すべきだろう。
佐藤卓氏×面出薫氏