2009年3月11日水曜日

【本】西堀榮三郎の言葉

「人材を育てる方法は、ただ一つ。仕事をさせ、成功させることである。成功経験が人を育てる。さらに大きな仕事をさせる。人と仕事の美しい循環を成立させることである。」
「チームワークの用件は、目的に対する共感、誇りと恥の意識である。過度の功名心・功名の独り占め意識は、チームワークの大敵である。抜け駆けの功名では、困難な仕事は達成できない。」
「同じ性格の人達が一致団結していても、せいぜいその力は『和』でしか増さない。だが、異なる性格の人たちが団結した場合には、それは『積』の形でその力が大きくなるはずだ。」
「チャンスは逃すな。まず決断せよ。石橋を叩くのは、それからである。」
「作る人は、よい製品・人に喜んでもらえる製品を作る為に魂を込める。よい品質は、作る人の魂の証である。」
「人間は一人一人の許容の幅が異なるのに、一定の型にはめて管理すればトラブルが起こる。主体性を認めて、理屈に合う型ならば理解を得られる。あとは『異質の協力』や。同じ人間が何人いても、こういう探検のような場では役に立たんから。」
「個性は変えられない。能力は変えられる。」
「もっと能率よくやりなさいよ。能率というのは『目的を果たしながら、もっとも要領よく手を抜くこと』である。」
「人にとって最も恐ろしいのは、惰性で日を送ることである。向上心があれば、飽きることがない。仕事・生活の中に、向上の道を残さねばならない。向上を求めなければならない。」
「人間も含み、森羅万象みな大自然や。それを知るのが科学で、知りすぎることはない。そこで得た知識をどう使うかが技術で、技術者には人倫がなければあかん。」

■西堀 栄三郎(にしぼり えいざぶろう、1903年(明治36年)- 1989年(平成元年)4月13日)は、日本の登山家、無機化学者、技術者。従四位。
京都一中、三高を経て、京都帝国大学理学部化学科卒業。京大講師、助教授を歴任した後、東京芝浦電気(東芝)に移る。東芝技術本部長時代には海軍の要請を受けて真空管ソラを開発し、技術院賞を受賞した。材料不足の状態でも大量生産できるように、微細な部分に至るまで製造マニュアルを完備し、"新橋の芸者を集めてでも製造可能"とされた。
戦後は独立コンサルタントとして統計的品質管理手法を日本の産業界に持ち込み、デミング賞や電電公社総裁賞を受賞。戦後日本の飛躍的な工業発展の礎の1つとなった。
京大に助教授、教授として復帰してからも精力的に活動し、第一次南極観測隊の副隊長兼越冬隊長や日本山岳協会会長を務める。日本初の8000m級登山であるマナスル登山計画時にはネパール政府との交渉役として活躍。日本原子力研究所理事や日本生産性本部理事も務めた。

鹿沢温泉において、「雪山讃歌」を作詞したことでも知られる。
語学に堪能であり、アインシュタインの来日の際に3日間通訳を務めた。

プロジェクトX リーダーたちの言葉より