2010年3月14日日曜日

【本】日本辺境論

内田樹 著

日本語は表意文字と表音文字を併用する特殊な言語。日本語話者の脳は文字を視覚的に入力しながら、漢字を図像対応部位で、かなを音声対応部位でそれぞれ並行処理している。この特殊性はおそらく日本語話者の思考と行動を規定している。
韓国、ベトナムもハイブリッド言語であったが、大戦後、表意文字を捨ててしまった。二世代前の文書が読めないという民族的な文化継承に致命的なハンディを背負っているのではないか。

私、僕、俺、儂、拙者、某、手前、おいら、あたい・・・・英訳したらみんな"I"になっちゃう。日本語は人称代名詞で自他の関係を表すことを重視する。
国でも外国と比べて日本はどうなのかと比較して論じることが多い。「日本はこうなのだ」と強いコンセプトを持っていないためだ。

明治の初め、日本人は大量の西洋文献を翻訳した。その過程で多くの術語が発明された。自然、社会、科学、哲学、芸術、技術、主観、客観、概念、観念、命題、肯定、否定、理性、現象・・・そしてその訳語は中国でも用いられた。
中国は自分たちの文化が持っていなかった概念、語彙、述語があるということに抵抗があったのではないか。日本はすんなり受け入れて新しい概念の外国語を二文字の外国語(漢字)に置き換えたのだ。受容性というか何でも抵抗なく受け入れちゃうハイブリッド民族なのですね。