内田樹 著
戦後の日本の復興を担ったのは明治生まれの人たち。敗戦直後に政治経済や文化的な活動を牽引したのは明治20年代、30年代生まれの人々だった。この人たちは日清日露戦争と二つの世界大戦を生き延び、大恐慌と辛亥革命とロシア革命を経験し、ほとんど江戸時代と地続きの幼年時代からスタートして高度成長の時代まで生きた。
そうゆう波瀾万丈の世代ですから彼らは根っからのリアリスト。あまりに多くの幻滅ゆえに、簡単には幻想を信じることのないその世代があえて確信犯的に有り金を賭けて日本に根づかせようとした「幻想」、それが「戦後民主主義」だ。
みな従軍経験があって、戦場や空爆で家族や仲間を失ったり、自分自身も略奪や殺人の経験を抱えていた人たち。だから「戦後民主主義」はある意味では、そういう「戦後民主主義的なもの」の対極にあるようなリアルな経験をした人たちが、その悪夢を振り払うために紡ぎ出したもうひとつの「夢」なのだ。
ぼくたちの民主主義は、ある世代が共同的に作り出した脆弱な制度に過ぎない。それを守るためには、それが「弱い制度」だということを十分に腹におさめておかなければならない。
「民主主義でない制度」はいくらでもありえる。成員が民主主義社会を「信じるふりをする」という自分の責務を忘れたら。ぼくたちの社会は別の制度に簡単にシフトするだろう。民主主義というのは、そのことを知っている人たちの恐怖心に支えられた制度。
ぼくたちの世代が失ったのは、この「恐怖心」。「この社会はオレが支えなくても、誰かが支えてくれる」という楽観論。そんな「誰か」はどこにもいない、ということがぼくたちの世代には切実には分かっていない。
日本がダメになり始めたのは70年代。明治、大正生まれの「怖いものを見た」リアリストたちの世代が社会の第一線から退いたときと符合する。この世代の退場とともに、日本からは本当の意味での「エリート」つまり「リスク・テイカー」も消えたのだ。
世代論より抜粋