2011年7月2日土曜日

ムサビのデザイン

改修オープン企画。グラフィック全般を中野豪雄さん。
椅子とグラフィック資料は学校の収蔵品とのこと。充実。
美術館改修の監修は図書館に続き藤本壮介さん。

YOH_KOMIYAMA のtweetがまとまっているので転記。
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1850-1919 19世紀後半、新たな産業技術が広がり、アーツ&クラフト運動へ、そしてアールヌーヴォーが世界へ拡散。AEGでベーレンスが電気ポットをデザイン。その流れが、ドイツ工作連盟へと。ペーレンスの事務所にいたグロピウスがバウハウスを誕生させる。

1920-1939 20世紀=「速度と移動の世紀」。高度工業化時代の最初で最後の装飾様式の「アールデコ」が都市を席巻。第一次世界大戦後の自由放任経済とその反動による大恐慌。享楽的カフェ文化。この頃、バウハウスは世界中から先端の指導者を集めている。

1940-1949 1939年に、第二次世界大戦がはじまり、この年に「世界博」開催。手仕事の品質に負けない工業製品→市場において商品を突出させる目的へ。アールデコからマーケティングへ。機能性・合理性というプロパガンダが、社会主義・共産主義を意識しながら展開されていく。

1950-1959 モダニズムの黄金期。思想の段階から、家具、家電、自動車、住宅、都市空間へ。質、量ともに、急速に世界中に一義的ではないモダニズムの独自のスタイルが生まれていった。

1960-1969 1968年の五月革命が世界に飛び火し、第二次世界対戦後の世界の枠組みに疑問が呈された。巨匠の思考をなぞることに疑念が呈され、風土性、土地の文脈といったことではない、革新性が求められた。1960年の「世界デザイン会議」お手伝い世代が後に先駆的な役割を担って行く。

1970-1979 モダニズムの象徴であるアメリカの没落。モダニズムから距離をおく時代へ。「貧困の美学・貧者の美学」に変わる価値観の模索。未来よりも、過去に主題を。資本主義の自己延命機能として、「表現の多様化」が追認されていった。

1980-1989 ポストモダン全盛。メンフィスの「限りなくアートに近い一品生産の家具」というカテゴリーが、大量生産から多品種少量生産への資本の思想の変化を代弁。社会のために、から、差別化。へ。マスメディアの熟成が表現の消費サイクルを加速。

1990-2010 マーケティングの公式が意味をなさなくなり、膨大な情報を精査し、戦略的に創意を生かしながら、感性を失わないでいられるもののみが、デザインの付加価値を手にできる厳しい時代へと突入。
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2011.6.25 「ムサビのデザイン」展のざっくりまとめでした。とても面白かったです。2010年代はどんなことが総括されるんでしょうね。 YOH_KOMIYAMA