本10冊分の2時間。
再講演が楽しみ。
慶應義塾大学名誉教授 岩松研吉郎
慶應義塾大学名誉教授 岩松研吉郎
「磯野家の謎」1992年 著者
聞き手:照明デザイナー 岡安泉
エッセンシャルイベントvol.32
聞き手:照明デザイナー 岡安泉
エッセンシャルイベントvol.32
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「明るい」という言葉はいつ頃からか
江戸時代から
遡っても室町時代半ばから
あかるい、あかし=あかい
明るさと色彩の区別はなかった。
明け=朱
日本人は太陽を赤いと思っている。
ヨーロッパでは太陽は黄色。
日本人は「あかるい」ことを「あかい」と捉えた。
佐竹先生の論文
日本の色はモノの色。 茶色とか。
色独自の名前は 赤、黒、青、白 の四つ
赤系統の言葉 明るい
黒系統の言葉 暗い
青系統の言葉 はっきりしない色
白系統の言葉 しるし はっきりする色
万葉集に青雲がでてくる。
白雲でもなく黒雲でもなくはっきりしない色
青が原色として捉えられたのはごく最近のこと。
虹を七色に捉えるのは最多。
三色のところもある。
分光したヨーロッパ文化に慣らされた。
黄は新しいことば。
近代まで黄と赤は同じだった。
「明るい」の価値観の変化
色彩と明るさの区別は江戸時代から
明治以降はっきりしてくる
明かりの材料が変わってきたから
江戸時代の言葉 「不夜城」
吉原、島原、新地 ・遊郭のこと
ローソクがたくさん その程度の明かり
夜桜見物は八代吉宗が許可した。特別
庶民は夜明かりは使えない。 寝ろ。
二宮金次郎は本を夜読めないので日中焚き木を背負いながら読んだ。
照明としての灯は
火を焚く 焚き木を使う
火を灯す 油を使う 燭台 古くは奈良時代 荏胡麻の油
江戸時代から油の商品流通が始まる
木綿生産のついでに綿実油
燭台用に菜種油が主流
これが明るい文化につながる
動物系は脂、膏
固形で照明に向かない
蝋燭が盛んになったのは明治以降
都市は知らない者だらけ
様々な産業で夜も働く
村は知っている者だらけ
夜は寝る
サザエさんは九州版1946年、全国紙1948年から1974年まで連載
戦後の一般中流家庭を描く
各部屋に照明がある
街灯もある
磯野家に電話がいつついたか
テレビがいつ来たか
全国普及50%を超えた時
照明ははじめから 必需品
明るいことはいいことだ。の文化
サザエさんではひたすら明るい
外の明るさを中でも実現することがあたりまえ。
江戸時代とは違う
菜種油からランプを経て電灯になった
江戸時代に明かりが広まったのは紙が大量生産
行灯、提灯が普及
明かり障子も広まる 外の光を取り入れられるようになった
ガラス産業で窓ガラス、ランプセード普及
ランプの火から電灯になって天井から照明するようになった。
「明るい」近代の象徴的な言葉
谷崎潤一郎 「陰翳礼讃」の例
一つ前の時代を懐かしんでいるが、もう一つ前までは考えてない
サザエさんは時代に合わせて変化してるので続いている。