2016年6月12日日曜日

【本】日本美の再発見

ブルーノ・タウト 著  篠田英雄 訳

 何よりもまず伊勢神宮は、人間の理性にもとるような気紛れな要素をまったく含んでいないということである。その構造は単純であるが、しかしそれ自体論理的である。後代の日本建築に見られるように、屋根裏が天井によってかくされることがなく、構造自体がそのまま美的要素をなしている。またそれ故にこそ柱やその他の用材は、あながちに力学的計算に従う必要がないのである。ここに在るところのものは、真正の建築であって、たんなる工学技師の手になる建造物ではない。
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 伊勢神宮では、一切のものがそのまま芸術的であり、ことさらに技巧をこらした個所は一つもない。清楚な素木はあくまで浄滑である。見事な曲線をもつ屋根も、ーしかし軒にも棟にも反りが付していない、ー掘立式の柱と小石を敷きつめた地面との結合も、共にすがすがしい。実際、構造的性格を帯びないような装飾はなに一つ施していないのである。
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 かかる専制者芸術の極致は日光廟である。ここには伊勢神宮に見られる純粋な構造もなければ、最高度の明澄さもない。材料の清浄もなければ、釣合の美しさもない、ーおよそ建築を意味するものはひとつもないのである。そしてこの建築の欠如に代わるところのものは、過度の装飾と浮華の美だけである。 

 しかし日本人の天才は、ひとつの偉業をなしとげるために、いま一度たちあがった。しかもそれは、あたかも日光廟の建築と時代を同じくしているのである。1589年から1643年までに、京都の近郊に桂離宮が造営された。この建築によって成就された特殊な業績は、これに類する他の建築物にも再現せられている。しかしそれにもかかわらず桂離宮は、伊勢の外宮と共に、日本建築が生んだ世界的標準の作品と称してさしつかえない。
 日本的思想に含まれている純正高雅な要素は、奈良時代から1千年を降ったこの時に、その間に分化した種々な技法と精神の哲学的洗練と結合して、いま一度桂離宮に集注したのである。

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 ブルーノ・タウトは1933年に来日し3年半滞在した。来日翌日に案内された桂離宮がモダニズム建築に通じることを見抜く。それが神明造が持つ日本古来の芸術であるとを示した。
短い時間に日本人自身の概念を覆した知性。すごいなあ。