2018年11月22日木曜日

1964年東京オリンピックを作り上げた建築家たち


松隈 洋(京都工芸繊維大学教授)
宮沢 洋(日経アーキテクチュア編集長)

@土木コレクション2018

岸田日出刀 40 64年五輪に関わる
36年 ベルリン五輪視察派遣
800カット撮影
10万人収容スタジアム 
半地下構造 回廊が地上階に
岸田日出刀は外苑案に反対。意見書を配る。
狭すぎる。神聖な森を汚す。せっかく作った競技場を破壊する。

同時に競技場案を進める。
1935年に31歳の前川國男へ手伝わせる。
当時学生の24歳丹下健三が図面描いた。
開催2年前に駒澤へ場所変更。
小野二郎が設計担当。 築地市場の設計者。
1938年7月に五輪開催返上。

第3回アジア大会のために神宮外苑競技場を壊し国立競技場建設。
1957年
設計担当 角田栄 建設省営繕課
高さを抑えた。

1959年オリンピック招致。
スタンド増築が必要に。
絵画館側に三日月型のスタンドを足した。
外苑の森より高くなった。
角田は致し方なしと残念がった。
仮設案も主張。

丹下健三51歳が代々木競技場を設計。
岸田日出刀の采配。
元代々木練兵場 ワシントンハイツ変換の場所。
日本の屋根を意識したデザイン。

高山英華 
駒澤オリンピック公園を計画。
芦原義信に設計を任せる。

札幌 大倉山シャンツェ 坂倉準三
真駒内スケート競技場 前川國男

新国立競技場
2012年の募集要項には敷地しかなかった。
いかなる歴史があるいかなる場所か説明なし。
ザハ案に決定。
槇文彦が岸田日出刀のように意見書を出す。
環境配慮のさまざまな代案が多数提案された。

「壊すときには壊す前になぜ建てられたか考えてみよ」

2015年 安倍首相が白紙撤回。コストが理由。
隈研吾案で建設。

「有名な人たちの記憶より、無名の人たちの記憶に敬意を払うことのほうが難しい。歴史の構築は無名の人たちの記憶に捧げられる」
ヴァルター・ベンヤミン