キング・オブ・キングスというフランスTV映画でジョン・マルコビッチが好演していて興味。
Charles-Maurice de Talleyrand-Périgord
1754年2月13日-1838年5月17日
フランスのフランス革命期・第一帝政期の政治家・外交官。ナポレオン・ボナパルトに仕え、なおかつ裏切り、ウィーン会議以後も首相、外相として活躍し、40年にわたってフランス政治の中心に君臨した。
「タレーランは、金儲けに精を出していないときは、陰謀を企んでいる」と酷評されたが、一方で敗戦国が戦勝国に要求を呑ませたことで敏腕政治家・外交家としての評価が高い。
ナポレオンとタレーランは、互いの天才的な才能を認めあったが、必ずしも親しい関係ではなかった。タレーランの老獪な政治手法からナポレオンは「絹の靴下の中の糞」とこき下ろすこともあった。タレーランは、変節の政治家として嫌われることも多いが、名外交官としてオーストリアのメッテルニヒと並び称され、今も評価が高い。(メッテルニヒとともに外交の天才と称されることがある。) タレーランは、長年対立関係にあったイギリスとフランスの同盟関係を固め、19世紀と20世紀の200年続く両国の協調と同盟の基礎を作った。両国の同盟関係により後の第一次世界大戦と第二次世界大戦のフランスを勝利に導いたのはタレーランの外交の遺産であった。
タレーランが提案したメートル法が世界の多くの国で度量衡の基準として広く用いられている。
現在でも、欧米では交渉の場で卓越したものの代名詞として使われる。