そして2001年9月11日・・・・・
当のアメリカ人だけでなく、世界中の何十億という人々にとって、この日は特別な日として記憶が共有されるに違いない。
その時、自分はどうしていたか、どういう形でそれを知ったか、そして何を思い、何を感じたか・・・・
このような世界的な共有が起きたのは、事件の衝撃度が飛びぬけて大きかったからであるのは言うまでもない。だが、その共有を可能にし、衝撃度を拡大したのはメディア、中でもテレビであった。
「歴史の目撃者」とは稀有な体験をした者に対して与えられる尊称であったのだが、今ではブラウン管に見入る世界中の視聴者がそうなってしまったのである。
番組と同時進行でことが起きていて、シナリオなど作りようがない場合での、番組を切り回す際の心がけが私にはいくつかある。
(1)あわてたり、上ずらないこと------現場からの中継はいくら興奮してもよい。受け止めるスタジオは冷静さを保ったほうがよい。とくにパニックを起こしかねない題材の場合は。
(2)とりつくろおうとしたり、ミスをおそれたりしないこと---それが無用の緊張、こわばりを生むくらいなら、捨てたほうがよい。ミスはかえって臨場感を出す効果もある。
(3)俯瞰、メリハリ、"総括"を忘れないこと------目下起きていることに集中していると、それが起きていることが全体のなかでどんな位置を占めているのかがわからなくなることがある。要所、要所でこれまで起きたこと、わかったことをその都度まとめていくことが必要だ。
(4)目に映りしものの背後を見ること------映像の伝える情報の強さがテレビの生命であることはもちろんだが、それが意味するものをどう理解するかによって、同じ情報でも受け止め方が異なってくる。整理、要約のいとまもないままに、次から次へと生の映像が流れ込んでくる場合はなおさら、その説明と位置づけの能力が問われる。
(5)入ってくるものを鵜呑みにしないこと------これは現在進行形の場合、特にむずかしい。そこで大事なのは、いったん伝えた情報に対して、その後も再確認、再点検を続けていくこと、時には、"消去活動"をしていくことである。
世界貿易センタービルとタリバン、アルカイダの軍事施設は地上から姿を消し、この間に多くの死傷者が出た。しかし、その他の世界の形状はほぼ前と変わっていない。にもかかわらず、2001年9月11日を境に「世界は変わった」。
世界を見る目が変わり、そこに住む人たちの心の中が変わった。
認識、心理に激変が起き、それに情報がとてつもなく大きな位置をしめる時、メディアの持つ比重もまた大きい。
テロ発生から嵐のような日々が一段落したころ、スタッフたちと話していて興味深い発見をした。若いスタッフほど、「この世の終わりかもしれない」「世界大戦になるかも」と終末観にとらわれながら仕事をしていた。私と斉藤プロデューサーという、飛びぬけて年長者二人がなかでは一番楽観的だった・・・・・という発見である。
それぞれの世界観や感性が問われる出来事でもあったのだ。
筑紫哲也 著