2009年4月29日水曜日

「何もないけれど、そこにすべてがある」

 僕が言いたいのは、日本の伝統ということをね、今見ましょうということではなくて、そういう感覚があると、僕らの中に。そういう感覚資源を使って、今、今ですよ。今という社会、時代の中に何か作りたいなと。そういうものに聞き耳を立ててみると、その今ガサガサした世界だけれども、その中に結構いい、寄与出来るいいものが、今の社会の中で取り出せるかもしれないっていう気がするわけね。

 応仁の乱っていうのは明治維新とならぶ大きな転換期だったのです。足利義政が東山に蟄居して慈照寺銀閣に代表されるわび・さびに重きをおいた「東山文化」を興した。これ以降、質素に美を見出す日本の美意識が根付いたのです。金閣に代表される豪華絢爛な「北山文化」などそれまでの美意識を大きく転換した。

“何もないが、すべてある”。茶の湯の精神のように、簡素の中に想像力を働かせて豊かな幻想を感じさせることこそが、日本が世界に誇る“シンプル”の思想だ。

 たとえば原始人は原始人の世界を「シンプルだなあ」とは思っていない。世界は複雑から始まり、シンプルな感覚を発見していく。

空っぽ、間が大事なんだ。人間・世間・時間・空間・・・・

 日本のね、謙虚なところっていうの、これは結構いいんじゃないかと思うんです。自分たちの住んでいるところが、世界の中心だと思っていないですよ、日本人は昔から。いつもアジアの端でとか、小さな島って。全然小さくないんですよ。日本ピンセットでつまんでヨーロッパの方に持っていったら、大変なことになりますからね。そういう小さくもない国なのに、自分たちはアジアの端で、まあつつましく生きているみたいな感じ。だけど世界のことを日本ほど一生懸命見てね、アンテナを張っている人たちはいないわけ。


原研哉:「爆笑問題のニッポンの教養」memo