日本人は古代に移入された仏教教義の観念的咀嚼よりも、その教義の視覚的解釈に優れていた。空海は東寺で、宗教的一大スペクタクルである立体曼荼羅を造形した。その頃、誰かが、インド仏教で宇宙の構成要素とされた「五大」すなわち、地、水、火、風、空、のそれぞれに形をあたえてみようと思い立ったのだ。こうして地は方形、水は球、火は三角、風は半円、空はしずくの形、が空想されて五輪塔は成ったのだ。古代日本人が自然の内にある神霊と更新する為に、憑代としての物の形の美しさに特に注意を傾けてきた経験値は、こうして仏舎利の為の美しい形へと結実していった。美は観念に宿るのではなく、美しい形に自然に観念が宿るように思われた。日本人は頭で考えるより先に眼で物事を考えてきたのだ。私の海景も眼が記憶を誘う装置だ。その海景こそが、今の世にあって信仰として失われてしまった仏舎利のかわりに、水球の内に封じ込まれるのにふさわしいのではないかと私はおもった。その水球は占い師の持つ球のように、過去と未来か仄見えるような幻想を、私に見せてくれる。
杉本博司 [リーフレットより抜粋]