岡倉覺三 著
木下長宏 翻訳
日本が世界の他の国ぐにと交流を絶っていた長い孤立の期間、
内省の機会としては非常に意義のあった時期であり、そのあいだに茶の湯は大きな発展を遂げました。わたしたちの家庭生活と習慣、服装そして料理、陶磁器、漆器、絵画-わたしたちの文芸そのもの-すべて、茶の湯の影響を受けていないものはありません。日本の文化を勉強しようとすれば誰もこの茶の湯の存在を無視することはできないでしょう。茶の湯の影響は高貴な身分の人」たちの寝室の趣味にも及び、また身分の低い人びとの住まいにも浸透しています。農民たちも花を活けることを心得ており、卑しい労働に従事する者でさえ、石や水の流れを敬うことを知っています。慣用表現の一つですが、人生のいろいろな場面で起るちょっと真面目で滑稽なことがらに機微の感覚を欠いた人を指して、よく、あの人は「茶気がない」などと言ったりします。また、日常の悲劇には無関心で、繊細さを欠いた芸術愛好家が感情の抑えどころを間違えてハメをはずしたりすると、彼には「茶気がありすぎる」などと非難したりします。
関係のない人からみれば、こんななんでもないようなことを騒ぎたてて、さぞかし変にみえることでしょう。「なんという湯呑みの中の空騒ぎ」というところでしょうか。とはいえ、人間の悦びを充たす盃は、結局のところ、なんと小さいものなのだろう、と考えてみてください。なんとたちまち涙で溢れてしまうことでしょう、そして、なんとかんたんに、無限への抑え難き渇望で、空になってしまうことでしょう! そう考えるならば、湯呑み一杯で大騒ぎをしていても責めないでおこうと思いませんか。人類はこれまでもっと悪いことをしてきました。酒神バッカスを崇拝するばかりに、あまりにも野放図に犠牲を捧げてきました。そして、戦争の神マルスの血まみれの像を美化さえしてきたのです。それよりも、椿の女王に身を捧げ、その祭壇から溢れる思いやりある温かい流れに酔い痴れてみてはいかがでしょう。象牙色の磁器にたゆたう暁色の液体に、茶の通人は、孔子のやさしい寡黙と老子の渋い知恵、釈迦牟尼自身のえもいわれぬ香気を味わうのです。
自分自身のなかにある偉大なものの小ささを感じ取ることのできない者は、他人のなかにある小さなものの偉大さを見逃してしまいがちです。たいていの西洋人は、その物腰柔らかな自己満足に浸って、茶会などを、千一夜物語に出てくるような、東洋の風変わりで子供じみた景物の一つとみているだけかもしれません。そういう人は、日本が平和で穏やかな技芸にふけっていたあいだ、日本を野蛮な国だとみていました。そして、満州の戦場で大殺毅に手を染めると文明国扱いするのです。最近(侍の捉〉についてはさかんに議論されるようになりました 兵士たちを自己犠牲へと駆り立てる(死の術〉についてです。しかし、〈生の術〉についてたくさんのことを語っている茶の湯については、注目されたことは極めて少ないのです。わたしたちが文明国と呼ばれるために、身の毛もよだつ戦争の栄光が必要だというのなら、わたしたちは喜んで野蛮人でありつづけたいと思います。わたしたちの芸術と理想にしかるべき敬意が払われるそのときがくるのを、喜んで待ちつづけたいと思います。
いつになったら西洋の人びとは、東洋の人びとを理解するのでしょう、いや理解しようとするのでしょう。わたしたちアジア人は、わたしたちについて事実と妄想をまぜ合わせて織り上げた好奇心の編物をみせられ、しばしばぞっとさせられることがあります。わたしたちは、蓮の香りを吸って生きているとか想像されたりしているのはまだしも、鼠やごきぶりを食べて生きているなどといわれているのです。わたしたちは、無気力な狂信家か、でなかったら、野蛮な肉食人種か、というわけです。インド人の霊性は無知の仕業と剛笑され、中国の人たちの節度ある振舞いは愚鈍、そして日本人の愛国心は宿命論の産物だというわけです。神経組織が無感覚なので、怪我をしても痛みを感じない、などともいわれてきたりしたのです。
せいぜい、わたしたちを話題にしてお楽しみください! アジアはアジアでお返しをしています。わたしたちがあなたがたのことをどんなふうに想像したり書いたりしてきたかをぜんぶお知りになろうものなら、これはもう、もっともっとたのしんでいただく話題に事欠かないでしょう。そこには、よくもそこまで、といいたいほどのものの見かたがすべて揃っています。未知のものに対してよく考えもしないで賞讃してしまうやりかたのすべて、新奇で名状し難いものに対して無言でみせる敵意のすべてが、揃っています。あなたがたは、あまりにみごとな美徳に恵まれているので、羨んでもしようがない存在だったか、答めてみようにもあまりにも現実離れした罪作りだったか、というわけです。わたしたちの昔の、物知りの賢人たちは、西洋人は衣服の下のどこかに毛むくじゃらの尻尾を隠しており、生まれたての赤ん坊を煮込みにして食べるなどと説いていたのです。いやいや、わたしたちはあなたがたに対してもっと悪錬なことを考えていました。あなたがたは地球上でいちばん不器用な人種で、決して実践できないことを説教している、と考えてまでいました。
こんな間違った考えは、いまや、もうどんどん消えて行きつつあります。商業の発達がいやおうなく、西洋の言葉を東洋の多くの港に上陸させています。アジアの若者たちは群れをなして、近代の教育を身につけるために西洋の学校へ留学しようとしています。わたしたちの頭脳は、まだあなたがたの文化の奥深くまで入り込んではいませんが、少なくとも、あなたがたの文化を進んで学ぼうとしています。わたしの仲間のなかには、あなたがたの国の慣習や礼儀作法を学ぶに熱心なあまり、堅い襟を着けて高いシルクハットを冠れば、あなたがたの文明が達成したところへ行けると勘違いしている者さえいます。そういう思い入れは、感動的とも嘆かわしいともいいようがないのですが、脆いてまでして西洋文化に近づきたいというわたしたちの願いを物語っているのです。残念ながら西洋人の東洋を理解しようとする態度は思いやりがありません。キリスト教の宣教師は伝道のためにやってきて信仰を押しつけますが、受け入れようとはしません。あなたがたが持っておられる知識は、わたしたちの広大な文献のなかの一部の乏しい翻訳に基づいています。でなければ、通りすがりの旅行者の信用おけない聞きかじりに基づいてなければと思うものです。ラフカディオ·ハーンや「インド人の生活体系」の著者[ニヴェディダ]のような寛大で折り目正しい筆遣いでもって、わたしたちアジア自身の感性の灯りで東洋の未知の闇を明るくさせてくれている文献はほんとうに少ないのです。
こんなふうにぶしつけな言いかたをしている私は、これでもって茶の儀式に対する無知振りを露呈してしまったかもしれません。茶の儀式の礼儀正しさの真髄というのはほかでもない、言わなければならないことだけを言って、それ以上余計なことは決して口にしないというところにあるのですから。しかし、その意味では私は礼儀正しい茶人であろうとは思っていません。新世界と旧世界のあいだの相互の無理解にょって、もうこんなに傷つき合ってしまったのです。私の無知振りも、お互いのより良い理解を助けるために支払う税と考えれば許してもらえるのではないでしょうか。二士世紀の始まりにあった血曜い戦争は、もしロシアがもう少し日本を知ろうと謙虚であってくれれば、避けられたかもしれません。東洋の間題など軽視して構わないという倣慢な態度は、なんという恐ろしい結果を 人 類にもたらすことでしょう! ヨーロッパの帝国主義は、〈黄禍〉[黄色人種の脅威]という馬鹿げた叫びを挙げて恥ずかしいとも思っていませんが、アジアのほうでも〈白禍〉[白人の恐怖]というひどい考えを思いつくかもしれないことには気がつかないでいます。あなたがたは、わたしたちを「茶気がありすぎる」と笑うかもしれませんが、わたしたちにしてみたら、あなたがた西洋の世界にはまったく「茶気がない」と思ってしまうのではないでしょうか。
警句を投げつけるのをがまんするのは、お互いもうこれくらいで止めにしましょう。地球の半分同士、お互いに良い所を分け合って、もう少し賢くなれないにしても、せめて悲しみの気持を持ち合おうではありませんか。わたしたちはそれぞれ別々に道を進んできました。
しかし、一方がもう一方を補い合ってはいけないという理由はまったくありません。あなたがたは休息抜きという犠牲を払って拡張を続けてきました。そのあいだ、わたしたちは、侵略に対しては無力な調和を創造してきました。信じていただけますか-ある点では、東洋は西洋よりもずっと優れているところがあるということを?
まったく不思議な話ですが、そのあいだに、すでに、ヒューマニティというお茶は、茶碗のなかで出会っていたのです。茶を晴むということは、東西を超えて普遍的な尊敬を捷ちえた唯一のアジアの儀礼であります。白人は、アジア人の宗教や道徳は小馬鹿にしてきましたが、この褐色の飲物はなんのためらいもなく受けいれたのです。午後のお茶は、いまでは、西洋社会にあって、大切な役割を果しています。お盆とお皿が立てる繊細な響き、ご婦人がたのもてなしを伝える柔らかい衣ずれの音、クリームやお砂糖を薦める型通りの問答のなかに、〈茶の礼拝〉は疑問の余地なく生きています。客が、どんなお茶が出てくるかと待っているときの、与えられた運命への身の委ねかたは、一種の哲学的諦念であり、この一瞬に至高の東洋の精神が充ち満ちているのです。