2020年3月8日日曜日

代謝建築論 か・かた・かたち

菊竹清訓 著 1968年

■設計仮説〈か〉⇄〈かた〉⇄〈かたち〉
〈か〉構想的段階 かくあるべきものであり、かくあるものである。
〈かた〉技術的段階 空間的認識としては典型であり、機能的実践としては体系。
〈かたち〉形態的段階 設計とはすべての物的環境の問題を人間とのかかわりあいの中で取り扱う。人間・環境の領域の問題。 



■空間は機能をすてる
サリバンの「形態は機能にしたがう」という主張と丹下の「美しきもののみ機能的である」とする規定によって機能主義は成立した。

現代の人間と空間との関係において、考えられる生活は、空間に自由に機能を発見し、独自の選択にしたがって機能させるという形が望ましく、特定の機能を強制するような形であってはならないであろう。したがって、空間を意図した機能啓示の媒体と考えることは、生活者としての人間を拘束するだけでなく、計画者としての建築家を全人的、神のような存在におくことにな ってしまう。
〈空間は機能をすてる〉ことによって人間を開放し、自由を獲得し、精神の高貴を讃え、人間の創造を蓄積し、よく多様な文化の胎盤とすることができるのではないか。 

■人工気候と人間
われわれは、設備技術の進歩を、人間とともに前進するという方法論のなかに組み込み、現実から技術的なものを媒介して本質をとらえ、さらにこの本質を現実に適用するという実践的人間の技術に、まずしなければならない。

設備技術を技術のレベルからデザインのレベルに上げることである。そうすることによって人工気候の発展は、人類の進化に寄与できるものにすることが、可能となると考える。技術の可能性と人間の適応性の上に人工気侠がつくりだされるのではなしに、人間の根源的願望が自然をつくりかえ、技術がこれを実体化し、現象する現実の矛盾が、再び本質を揺さぶるというデザインの構造にしたがう方法論に導かれて、人間的な発展を人工気候は達成していくことが必要である。今こそ設備についてのそういう認識の重要なときだといえよう。 

■建築は代謝する環境の装置である
建築および都市を、人間のつくりあげた人工環境とすれば、人工環境とは「人間生活に対応する装備」というようにこれを定義することができるだろう。
この定義にしたがえば、建築の進化は、対応する装備の進歩であり、対応する装備の進歩は、物質的代謝機構の体系的獲得と、その制御機構の高度化にあるといえるだろう。言い換えれば、たえまない自己更新と、自己保存のための適応反応が、物質代謝であり、人工環境は、そういう代謝を可能とし、うながすような機構をそなえ、その制御機構の高度化として、とらえられる必要があるということである。もし建築の歴史をとらえようとするなら、この物質代謝の発展こそ有力な手段であり、これを社会的条件と照合した、代謝型の複雑性、エネルギー利用の効率、調節機構の発展などにおいてとらえ、これを歴史を判断する基準とすべきものである。 

■ メタボリズ ムー代謝空間
ここでわたくしたちがすすめようとしている〈メタボリズム〉という思想は何かということになってまいります。メタボリズムというのは生物学的用語でありまして、ご承知のように新陳代謝という意味であります。 これは建築都市を生成発展する過程でとらえ、新陳代謝できる方法を、デザインに導入しようという考えでありまして、ここから一つの秩序を見いだそうといら考えかたをいうのであります。
 物を発展においてつかもうという考えは、ギリシア哲学以来あるわけでありますが、これを建築.都市において考える場合、どういうようにとりあげるかといいますと、基本的には、とりかえるということをくみこむことになるのであります。しかしなんでもかまわず無茶苦茶にとりかえるということは、やろうと思ってもできるものではない。とりかえる場合には、何がのこり、何をとりかえるかというケジメをはっきりさせなければならない。この問題と、とりかえるもの相互の間にとりかえのシステムの問題がよく考えられていないとできないのであります。つまり前期機能主義は系統発生的問題を中心としていた三次元世界だったと思うのでありますが、ここでそれにとりかえを中心とする更新·交替の理論つまり個体発生的計画の思想として、この更新·交替の理論が、機能主義理論とともに、そのベースになっていなければならないと私は感じているわけであります。 

■「復刻版」あとがき 抜粋 2008年
設計活動を始めてから五十年以上を経た現在、時に「代謝建築」を「更新建築」と読み替え、同じ道を進んでいる。そもそも、私が「新陳代謝 =メタボリズム」という生物学的用語を引用した背景には、我が国の建築が木で造られてきた二千年以上の歴史と、精神文化や生活の知恵が蓄積されてきた影響が大きい。そこには、茶道、華道、武道など、師匠と弟子の家元制度のように、人を介してその流儀や伝統が継承されてきた参加型の文化がある。西欧のように創造と模倣を峻別することなく、O〇流·○○調·○○風といった概念によって、すべての人々が文化の形成に参加できる仕組みが培われてきた。また、伝統的な日本の木造建築における解体·組み立ての過程では、職人の技や経験が受け継がれ、地域の文化が守られてきた。こうして多くの人々の知恵や経験が集積し洗練されていくプロセスを、より包括的なシステムとして捉えるのに「更新」という表現を用いてきた。 

「更新建築」には既存建築物の保存問題がある。どういう建築を残し、建て替え、補修するかを考えなければならない。歴史的な遺産建築をどう選別するか、ただ単に古い遺構を残すだけでは、かえって発展の障害にもなりかねない。建築のある部分だけを残すかどうかについても、同じ問題として考えなければならない。「更新建築」として取り組む意味を考えた時、「感覚的段階(かたち)」·「論理的段階(かた)」,そして「構想的段階(か)」で見ていく「三段階の方法論」は、ひとつの指針になるかもしれない。 「かたち」だけの建築なら、外観に手を入れるだけで済むだろう。もし「かた」のレベルの間題なら、その技術やシステムの変更だけで済むかもしれない。しかし、「構想的段階(か)」についての取り扱いとなると、未来に対する構想が必要になってくる。建築は社会のインフラストラクチャーという役割を担っているので、数百年単位で捉えなければならない場合もある。