2011年5月19日木曜日

電力会社について

 が1週間前に連投したつぶやき。
なるほど。電力のローカライゼーション。支持できる将来像。
電力は装置産業だけど、放送がITによって装置産業でなくなりつつあるように小規模で成立できる可能性もある。発電・送電分離ができれば加速するだろうし。
風力、太陽光、地熱、潮力・・・地域性や特色をもった電力メーカーが生まれ多様性をもてるとよい。
福岡ハカセの動的平衡「線形性から非線形への回帰」パラダイムシフトに通じる。
消費者と生産者がお互いを思いやれる関係ってのは魅力ですよね。

さて、電気屋の話だけど、大企業、旧体制の解体、自由化というのは、僕には抵抗がある。これまでの様々な「自由化」は、ある程度の資本力のあるフランチャイズとかに乗っ取られ、地域の多様性や結びつきは競争の名のもと淘汰されたわけだし、簡単に言っちゃダメなんじゃないかな。

「自由化」「競争」が、フェアだって、かっこいいって、実は僕はそうは思ってない。自由化というのは、必ず「競争」を生むから、その中で「電気代」が、最優先されるのは目に見えてる。競争は、弱者を生むよ。

話はずれるようだけど、「町の工務店」が、心無いハウスメーカーの下請けになり、粗悪な材料と職人不要の工法の中におとしめられていく。僕はそれをみてきたから。

「町の」商店街だって、おんなじだって、思った。「町の」分だけつくっておけばよかった豆腐屋は、オカラを産業廃棄物とよぶトウフファクトリィには、価格でかなう訳ないよ。でもそれが自由化で競争。

電気は自由とか、競争とか、しちゃいけないんじゃないかと思うんです。どうやってやるかは想像もできないけど、「安くする」ための皺寄せは必ず上層の給料ではなく、賃金や原材料費や粗悪化にくるから。

ただ、前にも言ったけど、現在の電力会社や、発電所の数と、それがカバーする地域範囲は、僕も明らかに違和感がある。もっと小さな発電所で、もっと小さな地域をカバーする方法論は、あるはずだと思うんです。

例えばヤクルトの営業所とか、子どもの頃に比べたら、すっごい少なくなったよね。それって、ヤクルトレディが自転車でなくバイクに乗るようになったからだと僕は思ってる。交番が減ったのも効率化。でも「効率化」は、地域との結びつきを確実に希薄にしていった。

ちなみに僕は今のように、「電力会社」から一足飛びに、「自家発電」になることに違和感を感じないこともなんか気持ち悪い。そこでもコミュニティという概念を壊した「自由」と「競争」が、顔を出す。

他人の集まりであるトウキョウの価値観はそれでいい。でも、まだカゾクのいっこ上の集まり「シュウラク」が残ってる地方にはもう少し他の考え方があるんじゃないかな。

「値段で比べたりなんかしないよ、ウチは代々山田サンところで醤油買ってんだよ」っていうような、カネを越えた結びつき。電気だって、本当は一緒じゃないかと思うんです。だからもう少し小さい単位での、発電と送電を考えていくことは出来ないんだろうか。「競争」ではなく、「繋がり」で。

今の電気屋みたいに大きくてよく解んない怪物は「セイジ」や「コッカ」や「ガッコウ」と同じで、いくらでも批判出来る。でも、もっと小さな単位の、自分に近い存在だったなら、「一緒に考える」「一緒に堪える」って、出来そうな気がするんだよね。


2011年5月13日金曜日

梅田貨物駅の夕暮れ

プラレールみたい。
プラレールって誰でも都市計画者や鉄道管理者にしてしまう。
現実のプロデューサーの方々もプラレールやトミカ、レゴで修行したんすかね。そう思いたい。純粋な原点だと思うから。
JR大阪三越伊勢丹より

2011年5月10日火曜日

UNIQLO POP UP STORE 池袋駅店

知らなんだ。4月21日からやってるらしい。
6月28日まで。11:00〜21:30 駅コンコースで営業。
毎日、昼前にお店作って夜かたづけてるという。店員男子談。
ふだん通過する時は床しかない。
でかいフロア広告だなぁと思ってた。
”店=たな=棚”ってのがよくわかる。
ユニクロポップアップストア


2011年5月6日金曜日

Glyph柳本浩市“自炊展”

ひぇ~ お願い。自炊したのYouTubeしてください。 
RT @ ええ〜ww 
RT @ あのファイルまだ300冊以上ありますww 
RT @ 自炊展に行ったら、@ に会う。しばし二人でファイル拝見。包装紙ファイル圧巻。映画を何本か見た感じ

雑誌やカタログ、一過性と思える編集物をスクラップブックに再編集。
スクラップってこんなに力をもつのね。特に時間が経つと。
幼稚園のときから続けてきたという @ さんの分類整理、
やばすぎ。
SHIBUYA PUBLISHING & BOOKSELLERS [SPBS]
facebook

2011年5月5日木曜日

むせかえる世界

真紅のドレスが鮮烈。むせかえる。
裾のふくらみは、許され潜りこんでいる男。
砂山典子 @nitehi works

2011年5月4日水曜日

Dancer in the Dark

ダンサー・イン・ザ・ダーク
ラース・フォン・トリアー監督 2000年
ビョーク/デヴィッド・モース
ピーター・ストーメア/カトリーヌ・ドヌーヴ

主人公セルマが夢想するミュージカルシーンは見ごたえあり。鉄道の音が音楽になる"I've Seen It All"、絞首刑台へ向かう"107 Steps"がいい。
しかし救われねえ・・・
この監督の作品はみんな重いけど、これは超弩級。

2011年5月3日火曜日

神って数字のゼロに似た概念なんじゃないかな

「うん!それにね、なんだか前にはよくわかんなかった神ってやつの存在も近頃はなんとなくわかる気がしてきたんだ。もしかしたらだけどさ、数字のゼロに似た概念なんじゃないかなって。要するに体系を体系足らしめるために要請される意味の不在を否定する記号なんだよ。そのアナログなのが神で、デジタルなのがゼロ。どうかな。でね、僕たちって基本的な構造がデジタルなわけじゃない? だから僕たちがいくら情報を集積していっても今のところゴーストは宿らない。でも基本がアナログベースなバトーさんたちは電脳化したり義体化してデジタルな要素を増やしていってもゴーストが損なわれることはない。しかもゴーストがあるから死ぬこともできる。いいよねぇ。ねぇねぇ、ゴーストがあるってどんな気分?」
S.A.C.第15話『機械たちの時間』 バトーと話すタチコマ

2011年5月1日日曜日

【本】疲れすぎて眠れぬ夜のために

内田樹 著

戦後の日本の復興を担ったのは明治生まれの人たち。敗戦直後に政治経済や文化的な活動を牽引したのは明治20年代、30年代生まれの人々だった。この人たちは日清日露戦争と二つの世界大戦を生き延び、大恐慌と辛亥革命とロシア革命を経験し、ほとんど江戸時代と地続きの幼年時代からスタートして高度成長の時代まで生きた。
そうゆう波瀾万丈の世代ですから彼らは根っからのリアリスト。あまりに多くの幻滅ゆえに、簡単には幻想を信じることのないその世代があえて確信犯的に有り金を賭けて日本に根づかせようとした「幻想」、それが「戦後民主主義」だ。
みな従軍経験があって、戦場や空爆で家族や仲間を失ったり、自分自身も略奪や殺人の経験を抱えていた人たち。だから「戦後民主主義」はある意味では、そういう「戦後民主主義的なもの」の対極にあるようなリアルな経験をした人たちが、その悪夢を振り払うために紡ぎ出したもうひとつの「夢」なのだ。
ぼくたちの民主主義は、ある世代が共同的に作り出した脆弱な制度に過ぎない。それを守るためには、それが「弱い制度」だということを十分に腹におさめておかなければならない。
「民主主義でない制度」はいくらでもありえる。成員が民主主義社会を「信じるふりをする」という自分の責務を忘れたら。ぼくたちの社会は別の制度に簡単にシフトするだろう。民主主義というのは、そのことを知っている人たちの恐怖心に支えられた制度。
ぼくたちの世代が失ったのは、この「恐怖心」。「この社会はオレが支えなくても、誰かが支えてくれる」という楽観論。そんな「誰か」はどこにもいない、ということがぼくたちの世代には切実には分かっていない。
日本がダメになり始めたのは70年代。明治、大正生まれの「怖いものを見た」リアリストたちの世代が社会の第一線から退いたときと符合する。この世代の退場とともに、日本からは本当の意味での「エリート」つまり「リスク・テイカー」も消えたのだ。

世代論より抜粋

2011年4月30日土曜日

人間はさ、自然の中で生かされているのよ。

武田鉄矢と対談する木村秋則さん。
NHK「プロフェッショナル」出演以来4年。「奇跡のりんご」出版、講演会続きとひっぱりだこ。なんだけど、えらく謙虚な方。ちっとも変わっていないんでしょうね。人間、注目賞賛されると自分を見失いがちになるけど、この人「無農薬でりんごを生産する人」をずっと続けているんだ。そしてよいと思ったものを伝え広めて仲間を増やすことを。
「人間はさ、自然の中で生かされているのよ。自然をコントロールなんかできないのです」そう思うよ。
彼のようにいつも笑ってるようになれたらいいな。

「降りてゆく生き方」上映会にて。