2009年1月12日月曜日

フランス料理はどのように定義されたか

歴史上、自国料理の定義を厳密に行ってきたのは、フランスである。フランス料理は、中華料理と並んで、世界の2大料理といわれるが、中華料理が世界中に広められたのは、華僑の貢献が大きい。世界中に散らばってコミュニティを形成した華僑の人々が、異国の地で中華料理を作り、日本のラーメンなどに代表されるように、現地化も含めて世界中に中華料理を普及させたのだ。
ところが、フランス料理の場合は、中華と違って、華僑のような伝道者の存在があったわけではない。それが、なせ、世界中を席捲する「世界料理」になりえたのかというと、実は、フランスが近代においてフランス料理の体系化と標準化を行ったことが大きい。

現在のフランス料理と呼ばれる料理の基礎を作ったのは、オーギュスト・エスコフィエという人物だ。彼自身も料理人であったが、当時のフランスに存在した様々な料理を超人的な努力で編纂して1903年に「料理指南」(Le Guide Culinaire)というレシピ集にまとめあげた。
これは、貴族社会に伝わっていた宮廷料理、フランス各地に存在した郷土料理などを取り込み、その上で食材や調理法を標準化して、体系化させたものだ。この膨大な本の中でエクリチュール化(テキスト化)されたレシピは5千種類にも及ぶ。それまで、料理人の頭の中に遍在し、暗黙知としてしか存在しなかった、フランスの料理の知識、情報がエスコフィエによって、初めて「体系、見える化」されたのだ。こうした努力によって「フランス料理」というものが、定義され、フランス人たちは、エスコフィエが定義した料理を以降「フランス料理」として認知し、それに対して誇りを感じていくようになる。エスコフィエが編纂した料理書は、現在に至るまでフランス料理のバイブルとして、料理人たちに用いられている。

フランス料理をソフト・パワーとして利用

また、エスコフィエが調理法の標準化を行ったことは、若い料理人の教育・育成や分業の考え方を料理の現場に導入することに大きく役立った。さらに、「フランス料理」という文化システムを軸にして、食材の供給、流通という分野で産業を創出することにも貢献した。
当時の世界は、列強による植民地争奪が活発化していた時代だが、軍事・経済力で劣るフランスは、文化パワーでフランスの存在感を示そうとした。そうした、国家戦略にも「フランス料理」は利用され、外交や国際舞台の標準となり、フランスの文化力を世界にアッピールする道具になっていく。

フランス料理というとルイ王朝の時代から綿々として継承されてきたものというイメージを持つが、現在、われわれが「フランス料理」と呼んでいるものの原型は、エスコフィエが、たかだか100年前に創造した「標準化と体系化」の産物であることがわかる。
ベネディクト・アンダーソンが、「想像の共同体」という著書の中で、新聞、小説の誕生に代表される近代のテキスト文化の誕生が、国民国家の誕生と一対のものであること、また、その担い手になっていたのが当時の新興ブルジョワジーであったことを指摘しているが、同じように、近代フランス料理の誕生を根底で支えたのも、国民国家の成立の主役となったブルジョワジーだった。フランス料理を食べ、小説や新聞を読むことでフランス人たちは「フランス国民」として自分たちを意識するようになったのであり、フランス料理もそうした「想像の共同体」を裏打ちする装置として機能したのだ。


katolerのマーケティング言論 より抜粋