アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリ著 新訳を読む。
慣れ親しんでいるわけではないのだが1953年の内藤訳がいい。
池澤訳が原書の雰囲気に近いとの評判もあるが、内藤訳がぐっとくる。
なんでかなぁ。新訳の方々、肩に力が入ったんじゃなかろうか。
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池澤夏樹 新訳
「飼い慣らす、ってどういう意味?」
「みんなが忘れていることだけど」「それは絆を作る、っていうことさ・・・・・・」
「飼いならしたことしか学べないんだよ」「人間にはものを学ぶ時間なんかない。人間はできあがったものを店で買うけだ。でも、友だち売っている店なんかどこにもないから、だから人間にはもう友だちはいない」
「ものは心で見る。肝心なことは目では見えない」
「飼い慣らしたものには、いつだって、きみは責任がある」
「砂漠がきれいなのは、どこかに井戸を1つ隠しているからだよ」
「夜の空を見て、あの星の1つにぼくが住んでいて、そこでぼくが笑っている、ときみは考えるだろう。だからぜんぶの星が笑ってるように思える。きみにとって星は笑うものだ!」
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倉橋由美子 訳
「『仲良しになる』ってどういうこと?」
「これはしょっちゅういい加減にされることだけど、『関係をつくる』ってことさ」
「仲良しになった相手でないと知ることはできないね。人間ときたら、今ではもう何を知る暇もない。店で出来合いの品物を買うだけだ。友だちが買える店なんてありっこない。だから人間はもう友だちなんか持てやしない。」
「心で見ないと物事はよく見えない。肝心なことは目に見えないということだ」
「あんたは飼いならしたものに対してどこまでも責任がある。」
「砂漠が美しいのは、どこかに井戸を隠しもっているからだよ・・・・・・」
「きみが夜、空を見上げると、あの星の中の一つにぼくが住んでるんだから、その星の中の一つでぼくが笑ってるんだから、きみにとっては全部の星が笑っているようなものだ。きみは笑ったりすることができる星を持つことになるんだよ。」