2009年5月9日土曜日

【本】建築史的モンダイ

藤森照信著
【茶室における炉の存在とは】
 茶の空間の歴史をたどると、炉は最初はなかったことが分かる。裏方で使用人が立て、座敷に運んできて、主人と客が飲んでいた。
 こうした当たり前を崩して、茶を飲む空間に炉を切ったのはやはり侘び茶の系譜だった。広い座敷をわざと狭くするのと併行して、炉を切ることを始める。
 炉を切るには二つの意味があったと思う。一つは主人が自ら点てる。使用人に運ばせるのをやめ、主人が点てて客に出すことで主・客だけの場が生まれる。しかしこのためならコンロの持込みでもよかったはずだ。
 なぜわざわざ炉を切ったのかを考えるヒントは、当時の都市の上層の家の中での炉とかカマドの空間的地位にある。炉やカマドは台所に付設されており、台所は使用人たち専用の作業空間として主人の座敷をハレとするならケの地位にあった。
 炉があって火がある空間としての台所としての台所は、田舎の農家へとつながり、農家の建築はさらにさかのぼると縄文時代の竪穴住居へと抜ける。利休をはじめとする侘び茶の開拓者たちが、縄文時代の住居形式を知っていたはずがないが、竪穴住居い毛の生えたような農家はちょっと田舎に出向けばいっぱいあったから、都市や洗練の文明や文化の対極が炉でありその核心としての火であることは知っていたにちがいない。
 とすると、利休は茶室に確信犯として火を持ち込んだ。そのために炉を切る必要があった。お茶という上流階級の洗練された文化的行いの中に、利休は火を投げ込んだのである。
 一坪まで空間を狭めるのも普通ではない。そんな狭い中でも狭さを感じさせない床の間のデザインは並ではない。茶碗を真っ黒にしたのもさすがだ。たしかに美的にはただごとではないが、しかし、火を投げ込むことの方もきっとただごとではないのではないか。火というものが美的問題より深い存在であるのはここに言うまでもない。