樋口廣太郎著
第1章 前例がない。だからやる!/第2章 人マネをしないからヒット商品ができた/第3章 企業風土を変えなければ会社はよくならない/第4章 経営の原点は感謝の心にあり/第5章 やる気をもった“人財”を育てる/第6章 私が考える会社経営/第7章 経営雑感
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1986年1月、私はアサヒビールの顧問になると、さっそくキリンビールの小西会長(故人)とサッポロビールの河合会長(当時)にご挨拶に伺いました。そして、率直に「アサヒビールの、どこが悪いのか。どうすればいいのかを教えてください」と伺ってみました。自分の会社の欠点を、ライバル企業に尋ねる経営者もいないと思います。これも前例がないかもしれません。でも、私は背に腹は変えられない気持ちでした。それまでのアサヒビールでは、とにかく原材料コストを切り詰めることばかり考えていたようです。お二人のアドバイスを簡単に言えば「ビール作りにはいい原材料を使い、古いビールをお客様からなくせ」という「入り口」と「出口」の大切さです。私はこのアドバイスを徹底的に実行させていただきました。度量が大きいお二人には、心から感謝しています。
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飲食の世界では、味を変えると失敗するというジンクスがありました。コカコーラがペプシコーラに追い上げられ、コーラの味を変えて失敗したのは、その典型的な例です。しかし、私はあまりの業績悪化のために、前例のない「ビールの味を変える」というタブーに挑戦せざるを得なかったのです。私がアサヒビールに来た1986年当時のビール業界は、容器戦争の真只中でした。ビールの容器だけを変え、中身の味を変えることはほとんどありませんでした。それは、味を変えてお客様が離れていかれるのが、一番怖かったからです。しかし、私は「ビールの味を変えなければ、アサヒビールの運命は尽きる。シェア・ダウンを食い止めるには、味でトップになるしかない!これからは中身の競争に入らなければダメだ。味の変革をしよう」と不退転の宣言をしました。美味しいビールを作るにはどうすれば良いのか?私は、アサヒビールの原点として次の四つを社内に徹底しました。
① 原材料を買い求めるのにお金を惜しまない。
② 人のマネはしない。独創性を発揮してクリエイティブなものを追及する。
③ 健康指向。
④ 出来た商品については、常に美味しいものを飲んでいただく。
製造から三ヶ月経ったビールは、全国どこにあろうと買い戻して処分する。
他社と一味違う新しい味のビールを提案して、味のトップになる!
人マネだけは会社が潰れてもやらない!
この決意があったからこそ、コクとキレをあわせもつ新しい味を提案した日本ではじめてのドライビール、アサヒスーパードライが開発できたのです。「前例がないからやる!」という挑戦的な試みでした。これからは積極的に冒険していこう。コストがかかっても、いい商品を作ることに専念しよう!と方向転換したのです。確かに資金面では厳しい状況にありましたが、あえて私は原材料を買い求めるのにお金を惜しまない決断をしました。問題に直面した時は、今までのやり方を躊躇せずに、常に見直すことが大切なのです。