2008年6月28日土曜日

【本】LIGHT LIGHT あかり楽しんでますか

 あかりについて勉強しようとすると、人工照明の歴史以前に立ちもどって考えなければなりません。インテリアに光を取り込むための建築技術には目をみはるものがあるのです。
 大別すると、西洋の建築には石造りが多く、石を積み上げて壁を造り、天井を造るわけですから、光を採り入れるための窓もなかなか大きくできなかったのです。気候も寒く、日射しも強くないヨーロッパの人たちは、たくさんの陽光を室内に採りいれたいと願ってはいたのですが、皮肉なことに構造的には小さな窓しか許されなかったわけです。
 ゴチック建築に代表されるような高い窓から射し込む一条の光。今風に言えば、暗い室内の強いスポットライトの光に似ています。当然、光と影のコントラストの強い室内になるのです。このようなヨーロッパ人の光の感性は絵画を見てもわかります。
 日本を含む東洋人の光の感性は、それとはちょっと違います。多くの建築が木造ですが、柱や梁で棟上をして屋根を葺くような造り方なので、風通しのいい夏向きの建物ができるのです。自由にどこからでも光を採りいれることができるので、窓などというケチな考えはあまりなかったのです。そして気候的には余りある陽光をコントロールすべく、長い庇や障子に代表されるいろいろな建具に工夫がみられます。
 室内には普通、強い陽射しが直接入ってくることを積極的には考えていません。だから和風建築に見られる日本人の感性は、「横から、あるいは斜め下からの拡散した光」という言葉で代表されます。
 欧米の知人が日本に来ると、時々、京都の桂離宮に案内します。建築やインテリアに関係した人なら欧米人でも桂離宮は知っていて、異口同音に感心してくれるからです。障子のデザインや、反射のための白砂、横からの拡散光を受けるための塗り壁や襖など、あかりとりのためのディティールのどれを見ても繊細な光の感性につながります。
 「日本には細やかなあかりのセンスを感じるものがたくさんありますね。」数年前に京都の街を歩いた後に言ったアメリカの照明デザイナーの言葉を思いだします。その時には「オフ・コース」と胸をはったものです。
 しかしそれとは反対に、つい最近も住宅を得意とする日本の建築家が、「日本人はあかりが下手だからね。ヨーロッパの人のようなあかりの感性が欠けているんだな・・・」と言うのを聞いて、自然にうなずいてしまったりもしているのです。
 気がついてみると、私たち日本人は自然の中の光を感じたり、それをインテリアに採り入れたりする感性には優れているが、近代化したインテリアに照明を考える段になると、その感性とは全く違う別のことをしてしまう癖があるようです。
 「古い日本建築はよいが現代の住宅のあかりは最悪だ。」などと陰口をたたかれたのでは癪にさわります。これはどうにかしなくてはならないのです。

 自然光に学ぶ心を大切にすべきだと思っています。
 太陽の光は自然や街を明るく照らすだけのものではありません。それぞれの地域にあった気候風土や自然の形に独特の性格を与えます。そして表情は刻々と変化するために、人の心にさらに強い感動を与えるのです。私たちはその美しい風景に励まされたり、慰められたりした経験を持っています。そんな景色をインテリアに再現するためのあかりであれば最高です。
 自然光は私たちに生活のリズムと美しい景色を与えてくれています。
 「自然光を利用する」-とんでもありません。私たちは謙虚な気持ちで「自然光に学ぶ」ことがたくさんあるのです。

面出薫 著 1988年