
Geminiに相談---
はじめに(P.1)
美術館建築で高い評価を受ける谷口吉生が手がけた慶應義塾の学校建築を、「交差するまなざし」という視点から紹介する展覧会の導入です
ESSAY:あるべきものを、あるべきように ――慶應義塾における谷口吉生のまなざしと風景(新倉慎右)(P.3–20)
建築家・谷口吉生の「場(敷地)」に対する徹底した姿勢と、他の建築家との関係性を深く考察した論考です
敷地と建築の関係:谷口は生涯、敷地に何度も足を運んで条件を読み解き、自身の表現欲求を抑えて周囲の環境に応答する建築を追求しました
。金沢市立図書館や法隆寺宝物館での父・吉郎の建築との関わりを例に、都市や歴史的軸線への配慮を解説しています 。 慶應義塾幼稚舎(風景の完成):父が設計した本館(1937年)に対し、谷口は新体育館(1987年)と新館21(2002年)を接続しました
。外部は景観の混乱を防ぐため白いモダニズムに同調させてグラウンドを囲む「白い帯」の風景を完成させつつ、あえてファサードの角度をずらしてアプローチ動線を折れ曲がらせることで、子どもたちに劇的な視覚・身体的空間体験(半地下の大空間食堂など)を提供しました 。 湘南藤沢中等部・高等部校舎(もうひとつの都市):槇文彦による大学キャンパスの開放的な「分棟型(群造形)」に隣接する敷地において、谷口は外界から閉じ求心性を持つ「中庭式(コートハウス)」を選択しました
。水平方向の動線ネットワーク(渡り廊下)やトップライト、スリット状の開口部を駆使して空間の抑揚を生み出し、時間の大半を校舎で過ごす中学・高校生のために、合理的に調和したひとつの「都市」としての生活空間を現出させました 。 谷口の都市、槇の都市:同じ出自や教育背景を持つ谷口と槇の「都市観」の差異を比較しています
。槇が多様性と空間の多層化を都市に求めるのに対し、日本の猥雑な都市景観に懐疑的であった谷口は、領域を区切ることで自己完結した厳格な世界を構築し、ディテールや素材の精度を極限まで高めて「場の空気」だけを残す手法をとったと結論づけています 。
ESSAY:学び舎としての建築 ――慶應義塾幼稚舎新体育館及び新館21のユーザー・マインドを考える(星野琉)(P.29–31)
利用者の視点(ユーザー・マインド)と、小学生という成長期にある特定の使い手の時間性を重視して、幼稚舎の建築群を考察した論考です
日常(ケ)としての学び舎:外に開かれた美術館の空間を「ハレ(非日常)」とするなら、6年間毎日通い続ける校舎は「ケ(日常)」の場です
。幼稚舎で行われている建築見学や授業を通じ、児童たちが自身の校舎に深い愛着を持ち、建築との対話を深めている実態を報告しています 。 新体育館:最小の材料で最大の空間を覆うという目標のもと、材料を削ぎ落としたアーチ状の梁と上部窓からの柔らかな自然光により、閉塞感を一切感じさせない開放的な大空間が実現されています
。 新館21:法的制限から生まれた半地下の食堂「けやきホール」を中心に、複数の階層やエントランス、階段を繋いでいます
。床レベルを変えることで、異学年同士の「見る・見られる」の関係(垂直・水平方向の視線の交差)が自然に発露し、大らかな空間が児童たちの社会性を育む場として機能していると評価しています 。
APPENDIX(P.35–47)
ビジュアルページ(慶應義塾幼稚舎・湘南藤沢中等部・高等部)(P.35–40):設計図面や、写真家・新良太の撮影による美しい建築写真(校庭を囲む白い校舎、光溢れる大空間食堂、厳格なコートハウスの外観やスリット光の入るコンクリートの廊下など)とともに、各建築の設計意図や空間的特徴を簡潔な解説文で紹介しています
。 谷口吉生プロフィール(P.45):父・吉郎への葛藤から機械工学を学び、後に建築へ転向してハーヴァード大学や丹下健三研究室で修行を積んだ経歴を紹介しています
。初期の幾何学的・抽象的なモダニズムから、クラシックな和のモチーフをモダンに解釈するデザインへと昇華させた歩みや、簡潔な展示空間と豊かなシークエンス(空間展開)を両立させた美術館建築の思想を解説しています 。 谷口吉生略年譜(P.47):1937年の生誕から、日本建築学会賞を受賞した「資生堂アートハウス」、国際コンペで勝ち取った「ニューヨーク近代美術館(MoMA)改築」、晩年の「鈴木大拙館」や「オークラ東京」などの主要作品、文化功労者選出などの受賞歴、そして2024年に87歳で永眠するまでの輝かしい足跡を網羅した年譜です
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